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2006年7月21日 (金)

六ヶ所村ラプソディ

昨日は、三番瀬特別委員会で、知事が直接答弁する総括質疑の日に当たっていたものだから、委員会室は押すな押すなの状態。職員がどっさり、他に記者、一般傍聴者もぎっしりで、80~90人は部屋にいたのでは?

課題は①漁組関係の転業準備資金と漁業補償の問題 ②干潟環境の再生と第二湾岸道路整備構想との矛盾  ③ラムサール条約がなじむかどうか  ④三番背保全条例の制定に向けての決意  など。

吉川さん始めいろいろな委員が主張したのは、とにかく、いつまでに何をするか、タイムスケジュールを示すべき、ということ。先延ばしにすればするほど、問題の根が深くなる。

吉川さんは、第二湾岸道路の必要性が薄れていることについて、国の機関にまで確認を取ったりしながら穏やかに質問。説得力ある論旨明快な見解で聞き入ってしまった。とにかく何らかの結論を出さないことには、これまでかけてきた会議費用も膨大であり、関係県民すべてが浮かばれない。まして、三番瀬の生き物達は浮かばれない。

本日は,夜、船橋で県ネット主催で「六ヶ所村ラプソディ」上映会。監督の鎌仲ひとみさんの冒頭挨拶・お話からスタート。

青森県六ヶ所村には核燃料サイクル基地がある。これといった産業のない僻地に、またも札束で頬をビンタ打ちするような方法で不快施設が押し付けられている。沖縄には米軍基地、ここにはプルトニウム。漁業権を売り渡してしまった猟師さんたちは核燃施設で働くしか職業の選択肢がない。

サソウさんという農家の方が六ヶ所村の現実を「地雷の埋まった土地の上に家を建てるようなもの。運がよければ、一生地雷を踏まずにすごせるかもしれない。しかし、その幸運の可能性は低く、いつも地雷におびえながら暮らさざるをえない。そんな不安と背中合わせの暮らしをあなたなら選びますか?それが、否応なしにわれわれが置かれている状況です」と語っていた。

電力を消費する大都会に原発は作らない。人が死んでも都会にその呻き声もろくに届かないような過疎の僻地が選ばれる。わが故郷珠洲市も原発がくる、来ないで部落が真っ二つに割れて議論百出した。産業のない僻地の悲哀は、痛いほどわかる。都市と過疎という日本国土全体の格差社会の断面が見える。

反対する人にも、賛成する人にも、未来はひとつしかない。すなわち、一旦事が起これば、そこには「死」が待ってるだけ。こんな簡単なことに気づかず、あるいは気づかない振りをして、膨大な電力の無駄遣いを続ける私たち、いや、私が、今問われているのだと思う。

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